独りよがりな日々。

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【2016.12.30 Friday 】 author : スポンサードリンク | - | - | - | -
『君の音が聞こえる』Second Stage(あってる?)を観た。その1
昨日、アルクシアターの『君の音が聞こえる』を観てきた。お?それについて書くか?と思うヒトもいるだろう。まあ、一部に限ってだろうが。初演から、5、6年?・・・つい前回まで、俺を含め、翔航群のメンバーの殆どが中心にいた作品。諸々の事情で、翔航群の手を離れた作品。色んな思いから、正直、観に行こうかどうしようかを迷ったのは事実。だって、ホントに思い入れのある作品だったから。何がどうではなく、自分がその、舞台上にいないのは、やはりとてつもなく違和感を感じていた・・・気がする。そう。気がするであって、そうだとは、言いきれないのだ。何故だかよくわからない。で、ふと思いたち、家を出た。その舞台を観る為に。劇場に着いたのは、開演ギリギリ。間に合った。観た。勝手に想像していたのは、『あまりにも面白くなっていて、悔しい思いと自分の力のなさを思い知る。』か、『ああ、そうなっちゃったか。 』のどちらか。が、そんな予想は、すべて外れた。まったく違っていた。だって、全然違う作品になっていたから。いや、確かに、似たシーンはあるし、同じセリフだってある。でも、違うものになっていた。この違いは、台本を書き直した(これが、改訂と言うべきなのか、焼きなおしと言うべきなのかは、わからない。)からなのか?キャストが違うからなのか?兎に角違うものになっていた。だからか、かえって違和感なく観ることが出来た・・・気がする。それがもし、作・演・作曲の又八が狙っていたのであれば、凄いやつだ。と、ホントに思った。今回の舞台に参加したメンバーは、一体何を思ったのだろう?だって、これまで違う演者で、それなりに評価されていた作品。何も感じないヒトもいれば、プレッシャーに押しつぶされそうになったヒトもいるだろう。で、観た感想。これから、また、この作品を重ねていけば、きっと説得力のあるモノになっていくのであろう。と思った。新たな『君の音が聞こえる』として。ところが、終演後、これまでの『君の音が聞こえる』を観たヒトにこんなことを言われた。「随分変わったって言われたけど、どこが違ったかわからない。」と。そうか。そう言われれば、大まかなストーリーと、ラストに、耳が聞こえないヒトが劇中で、素晴らしい声で歌うってところは変わらない。でも、そのヒトは、「いやあ、面白かったよ。感動したよ。」とも。申し訳ないが、何だか、ひどく適当な言葉に聞こえた。これは、飽くまで俺の感じ方であって、ホントに適当に言ったかどうかはわからない。でも、そのヒトの言葉によって、今回は自分が関わっていないにもかかわらず、何とも言えない感覚に陥ったのもホント。自分が面白いと思っていた作品が、実はお客さんは、自分が思っていたほど観ていてくれてはいないのだな。勿論、全てのヒトがそうではないのであろうが、そんなヒトもいるのは確かなのだ。ってのを改めて実感してしまった。以前、岩松了さんが、「客は、そんなにセリフを聞いてはいないよ。」の言葉を思い出した。その時は、「ああ、そうだよな。」と思ってはいたが、今回はそれを実感してしまったのだ。それだけ、印象に残る作品を創ることは、やはり困難なのかも。まあ、そんなことは百も承知、当たり前なのだが。でも、やはり、その違う切り口からの言葉に、無性に悔しくなった。もっともっと、心に、記憶に残る芝居を創りたいと思った。
この先の、芝居に・・・(特定の)キャストに関する感想は、公演が終了してから、その2に繋ぎます。それに、またまた長くなってしまったしね。
そうそう。翔航群の佐々木和代は、今回の、この舞台にも引き続き出演中。何だかんだと言っても、やはりよい作品です。あと、2ステージ。出来たら、是非、観に行ってください。東文化小劇場で、本日まで上演。時間は・・・?何時だっけ?すまない。忘れた。
ということで、本日はこれまで。 
【2009.02.28 Saturday 02:17】 author : 久川徳明 | 演劇 | comments(0) | trackbacks(0) | -
これは風邪か?それとも、
花粉症との出会いは、小学校5年生から6年生にかけての春。まだ、世間に花粉症なる言葉がここまで広まる前だったと記憶する。あまりに風邪が長引き、やむなく医者に連れて行かれる。と、そこで初めて、それは風邪ではなく、杉の花粉によるアレルギー。所謂、花粉症であると知らされる。その時は、大した危機感もなく、いつしか症状は消え、日常に戻る。そして始る、毎春の憂鬱。花粉の時期が来ると、何も手につかなくなる。目は痒い。鼻水はダラダラ。くしゃみの連続。そして何より、集中力が失われる。何も考えることが出来ないのだ。ひどい時は、就寝時、横になっている最中に鼻から液体が流れ続ける。なので、春に舞台がある時は、鼻炎ガード(こんな名前だったっけ?)が手放せない。ただ、服用し過ぎると、いざと言うとき効かないと不味いってんで、稽古は必死に我慢。花をかみつつ、顔を洗いつつ。で、本番前に服用。で、誘眠作用があるものだから、開演直前に眠たくなる。で、眠る。いつしか、出番直前まで、仮眠をとることが習慣化。これが、本番前の緊張を忘れる手段ともなる。そんなことを毎年繰り返していたのだが、4、5年前から、症状が軽くなってきた。で、俺は、克服したのだ。長きに渡る付き合いの、忌まわしき花粉症を。そりゃ、時たま、花粉が激しい、風邪の強い日には、多少の不調はある。しかし、基本的には、大丈夫。シャワーを浴びて、花粉を流してしまえば、スッキリさわやか。「どうやって治したんですか?」「気合いで。」そんな会話を交わすこと多々。と、昨夜、やけに体調が悪い。目がショボショボするわ、くしゃみは出るわ、鼻水は出るわ。こ、これは、もしや、花粉症再発?が、しかし、寒気もする。胃も痛い。これは、花粉症なのか?それとも、風邪なのか?はたまた、只の疲れ、体調不良なのか?わからない。だが、『病は気から』『精神は肉体を凌駕する』を実行している俺。これは、ただ単に、蓄積された疲れからの体長不良ってことに決定。誰が何と言おうと、これは花粉症などではないのだ。俺がそう決めたからそうなのだ。と、自分に言い聞かせる。
さて、いきなり話は変わるが、玉置浩二と石原真理子。何じゃありゃ。実際に、直接の知り合いでは勿論なく、あの人たちの情報は、マスコミを通してのものしかないのだが、こちら側に届く情報だけを信じてしまうと、正直気持ち悪い。二人を祝福しているヒトごめんなさい。でも、あの、出版した本と言い、不倫と言い、ストーカー行為と言い、映画と言い・・・チョットね。これは、どこまでが真実なのであろう?またしても、マスコミに意識操作をされているのであろうか?玉置浩二の歌や、雰囲気が決して嫌いではなかっただけに、あの(ラブラブ)会見の様子がチョット情けなく感じた。玉置浩二の方ね。まあ、あんな感覚、正直わからなくもないのだが。でも、そこまでやるか。あの二人の言葉、以前に結婚し、共に暮らした人たちは、どう思ったのだろう。未だ、引きづっていたら別だが、そうでなければ、きっと、何も思わないのだろうな。そんな事をコメントしていたヒトもいたな。「何も感じませんよ。」と、吐き捨てた女性のコメンテーター。まさにそうなのだろう。思う事すら、バカらしく感じるだろう。昨日も書いたかな?阿部定・・・女のヒトって恐いなあ。と、思っていたところ、おばちゃんたちの稽古で使っていた台本の登場人物の女。この人も、また、恐い。そんな人の横にはいられない。って思ったのだが、この石原真理子って人も、気持ち悪さと怖さが同居。でも、本人たちは、ホントに幸せなのであろうな。それは、それで、良いのか。末永く幸せになっておくれ。ところで、あの人、改名してなかったっけ?いつ戻したんだろう?まあ、どうでもよいことなのだが。
名前と言えば、俺の名前は、あと一角あるとベストらしい。苗字と名前の間に『・』を入れたら、と、あるプロダクションの社長さんに言われたことがある。名前で、成功に繋がるなら、一角増やすのもよいかと思うが、間に『・』は、イヤだなあ。どうしましょう?
と、タイトルから大分ずれて、まとまりのないまま、本日はこれまで。
・・・台本書こう。
【2009.02.27 Friday 08:36】 author : 久川徳明 | 雑記 | comments(0) | trackbacks(0) | -
『それを待っていた・・・って、』その2
 ・・・その1の続き。
おばちゃんたちの、それはもう晴れやかな、安心した顔。ハッキリ言えばいいのに。まあ、でも、可愛くもある。そう言えば、去年のこの時期も、同じようなことがあった。その時は、アクテノンそばのナイスデイって喫茶店で話したなあ。
それから、4月から9月までの稽古日を決めた。それから、今の台本(三人三様の一人芝居を稽古していた)を、一旦、今日までとし、来週からは新しい台本で稽古をすることに。早速、新しい台本を探さねば。で、更に暫しの雑談。怒涛の2月を過ぎたって話から、昨日もブログに書いたが、「遊ばなきゃって思うんですよ。」と、話したら。「あたしたちは、その言葉を待っていたんですよ。」なんて言ってきた。「そうじゃなきゃ。遊ばなきゃだめですよ。」おばちゃんたち、特にその中の一人はは、俺のことを心配してくれていたようだ。それから、暫く人生についてのお話が続く。そうなのだ。この稽古は、時に俺への人生の授業に取って代わることがあるのだ。まるで呑んでる席の如く。程よいところで、話を打ち切り、稽古開始。約一月ぶりの一人芝居だったが、それがかえって良かったようだ。力みが抜けて、より良い感じになっていた。おばちゃんたちは、確実に力をつけている。その辺の下手くそな若い奴らより、面白い役者になっている。そりゃまあ、まだまだなところも沢山あるが、それを凌ぐ味がある。もっと自信を持ってほしいものだ。と、もう一人の、シニアに行っていたおばちゃんが、稽古場にやってきた。差し入れの『千なり』持参で。で、「来週からは、3人?4人の台本?・・・、」と言いかけたところで、他のおばちゃんがソッと首を振る。で、シニアに行っていたおばちゃんが、告白。「実は○○さんの劇団に行くことにしたんです。だって、舞台に立ちたいから。」ここで、またしても考えの相違が原因で、一人離れていった。そりゃそうだ。大抵の人は、舞台の本番を迎えたいと思うものだ。今の3人は、ユックリ稽古を積んでいきたい。ユックリと着実に力をつけていきながら、楽しくお芝居の稽古を重ねていきたい。「それは、それでいいではないか。」と、昨日改めて思った。まあ、また暫くは、この3人のおばちゃんと、月2回の稽古を楽しんでいこう。時に、人生の講義を受けながら。
それにしても、『あたしたちは、その言葉を待っていたんです!』て言われるとは思ってもいなかったなあ。
さて、本日はこれまで。
【2009.02.26 Thursday 09:31】 author : 久川徳明 | 演劇 | comments(0) | trackbacks(0) | -
『それを待っていた・・・って、』その1
 今朝は、更新が少々遅刻。先日、ここを覗いてくれるヒトは、一体何時くらいに覗いてるんだろう?と、思っていたところ、それを確認する機能があることを発見。日によってまちまちであったが、大体朝、昼、晩、3か所のどこかに集中していた。まあ、当たり前と言えば当たり前。なので、頑張って、朝8時までには、更新をしようと思ったのだが、早速の遅刻。昨夜も、夜更かししすぎた。またまた、4時過ぎに寝てしまったのだ。これは、夜更かしって言うのか?てなことで、更新、更新。
昨日も久々があった。おばちゃん劇団の指導。何だかんだと、俺自身に時間がなく、役一か月ぶりの稽古だった。現在メンバーは3人。一人は、アクテノンのシニア演劇部に参加しており、「12月の発表会が終わったら、帰ってきますので、お願いしますね。」と言っていた。で、昨日、稽古場に入ったら、何だかおばちゃんたちの様子が変。妙によそよそしい。どうかしたのかと訊いても、ハッキリしない。これは、「そろそろ終わりにしたいんですけど。」と言いたいが、言いだせないのだな。と、思った。まあ、それはそれで、良いのだが、どうやってその話に持って行ってあげようかとしたところ、おばちゃんの一人が「話は変わるんですけど。」と、何も話をしていないところから、いきなり話題を変えた。いや、ホント、まだ、挨拶程度しかしていないので、変わるも何もなかったのだが。ああ、頑張って話を切り出したぞ。「稽古の日、3月までしか決めてないですよね?」「ええ。」「4月からは、既に予定を入れてしまってますか?」「いえ。一応、稽古日は開けてますよ。「でも、先生、忙しいですよね?」「ええ。まあ。」こんな、ハッキリしない会話が、しばし続く。どうにも、ハッキリしないので、「どうしますか?」と、訊いた。そしたら、また、モゴモゴ。「皆さんの考え通りで構いませんよ。」「あたしたち、先生たちと、ちょっと考え方が違うんです。発表会をやったらと、勧めてくださるんですけど、あたしたち、そう言うんじゃないんです。あたしたち、どれくらい上達したかわからないですし、あたしたちなんかが発表会するには、まだまだだと思うんです。(中略)そんなあたしたちでもいいですか?」ありゃ?どうやら、4月以降も、続けてくれるのかが心配だったらしい。「ユックリやっていきましょう。」おばちゃんたちの顔がパッと晴れる。
・・・長すぎたので、『それを待っていた・・・って、』その2に続く。
【2009.02.26 Thursday 09:14】 author : 久川徳明 | 演劇 | comments(0) | trackbacks(0) | -
狭い世界観を、広くするには。
 『情熱大陸』って番組で、秋本治さんのことを放映していた。別に観ようと思って観た訳でもなく、何となくテレビのスイッチを入れたらやっていた。で、何となく観ていたら、秋本さんは、一本のマンガを描くのに、取材しまくっていた。いや、そんなにしているのでもないのかも知れないが、俺から見たらやっていた。もう何年位、あのマンガは連載が続いているのだろう?あのマンガってのは、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』ね。もう、何十年もやってるよね。あれだけ長く続いて、これだけの人気を保つには、やはり必要以上の努力と才能が伴ってこその結果なのだろうな。と、気づけば、本日もマンガの話のように見えるが、いやいや、そうでもなく別の話です。 以前から、よく思っていたことで、最近、特に思うのが、俺の経験値の低さ。世界の狭さ。これは、感覚や才能の問題ではなくて、何もしていない・・・遊びっていう勉強をしていないってこと。勿論、経験や世界観を広げるための遊びね。それは、何でもいい。どこかに出かけるでも、映画を観るでも、本を読むでも、それこそ散歩だって構わない。ホントに最近は、家にいるか、現場(稽古場、学校、劇場)にいるかで、どこかに出かけるっていうと、その為の移動か、コンビニ、スーパー。行って、本屋(ビレッジヴァンガードが多い)くらい。家にいる時は、PCに向かってってるか、テレビを観ながら呑んでるか。これじゃ、世界観を広げるも何もあったもんじゃない。いつも決心しては、なかなか実現しないこと。『映画を観よう。本を読もう。』せめて、これくらいは、実行しよう。で、時には、『散歩に出かけよう。』せめて、これくらいは、やらないと、ホントに俺の経験知は、閉じられたモノになっていってしまう。そうそう。『走る。』これもやらなければ。汗をかけば、追い詰めれれて行く感覚も、多少は和らぐだろう。てなことを考えて、先日、映画を観た。『愛のコリーダ2000』って映画。大島渚監督ね。阿部定事件を基に撮られた映画。確か、当時日本で公開されたときには、カットされまくって、それでも18禁だったんだよね?間違ってたらごめんなさい。で、これまた、ネットで配信されていて、何となく観た。恥ずかしいかな、これだけ有名な映画にも係わらず、観たことがなかった。で、いい機会だってんで観た。阿部定ってのも、かなり有名な話で、愛するあまり、男を殺し、その男の局所を切り取り、持って逃げた事件。その程度までの知識はあった。以前、大林監督の『SADA』って映画をテレビでやっていて、観てみたが、あまりに詰まらな過ぎて(これは、飽くまで俺の主観ね)、最後まで見られなかった。同じ阿部定事件の話ってことで、軽い気持ちで観たら、とんでもなかった。ドンドン引き込まれていき、最後の最後に、定が、それを切り取るまで行き、バックで流れたナレーションを聞いた瞬間、全身に鳥肌が立った。あの鳥肌は、感覚は、何だったのか?あれは、定の行動に対してだったのか?ナレーションの中身に対してだったのか?はたまた・・・ああ、大島渚監督って・・・。と思い、他の映画も改めて観たくなった。取りあえず、『戦場のメリークリスマス』あたりを観てみるか。これは、以前観たことがあるが、今、あらためて観たら、きっと観え方が変わっていて、無茶苦茶面白く感じる気がする。で、観終わった後、阿部定のことを調べてみた。これまた、驚き。実際に定が吐いた言葉や、行動をそのまま(は、語弊があるかな。)映像化している。何でも、日本では、色々厳しすぎて、撮影は日本だが、編集はフランスでしたのだとか。で、海外での評価が高く、ロングラン上映なんてのもあったらしいが、日本で公開しようとしたら、カットに次ぐカット。なんだか訳のわからないものになっていたとか。何と、日本の間抜けなことか。で、そのカット部分を殆ど復活させて、暈(ぼか)しのみにしたのが『愛のコリーダ2000』なんだとか。
その時の取材も大事だが、普段から色んなことを見聞きして、少しでも色んな経験値を高め、世界を広げるべく、遊ぼう。いい意味で、もっと遊ぼう。
と、“遊ばなければ”なんて、ヘンテコな決心をしたところで、本日は、これまで。
【2009.02.25 Wednesday 07:27】 author : 久川徳明 | 演劇 | comments(0) | trackbacks(0) | -
久々。
 今朝は、久々に思いっきり寝過ごした。ここ最近、朝、なかなか起きられず、チョコチョコと寝過ごし、携帯からの更新になってしまっていた。勿論、最近のそれは、不本意な寝過ごし。でも、今朝のは違う。久々に午前中、家にいてもよいという安心感から、思いっきり、態々寝過ごした。いやあ、寝た。昨夜寝たのが、4時前だった気がするので、実際に眠っていたのは、ここ最近のプラス2時間位。こうやって、寝過ぎると、寝てる最中は心地よいが、目覚めと同時に後悔がドッと押し寄せてくる。今朝も、「しまったなぁ。」と後悔の目覚め。でも、まあ、たまにはいいか。溜まっていた疲れもとれた気がするし。
さて、昨日は、翔航群の稽古。そんなに間をあけたつもりもないが、何だか久々に劇団員に会った気がした。やっぱり、ホームはいいね。気持が落ち着く。てなことで、松田君。やけに鈍よりした表情。大体察しはついてはいたが、敢えて訊いてみた。と、やはり、台本に少々行き詰っている様子。そんなことで、稽古は、台本の話に。都合2時間弱。みんなでアイデアを出し合った。それが、どこまで実際に取り入れ、松田君の手により、どう料理されるか楽しみ。蓋を開けたら、何も採用されていなかったりするかも知れないが、それはそれ。執筆の、何らかの手助けになれば、それで良いのだ。何よりも、そのアイデアの出し合いは、俺にとっても、思考を巡らすリハビリになった。そして、今朝の寝過ごし。お陰で、今日から再び、脳をフル稼働出来そうだ。
最近、コンビニで、『あしたのジョー』が、フィギア付きで販売されている。「ああ、懐かしいな。」なんて思っていたら、ネットでも、『あしたのジョー 2』が毎週4話づつの更新で、無料配信されていた。これは、何かあるのかな?あらためて、再放送があったり、映画かされたりとか。パチンコ台になるなんてこともあるかな?まあ、そんなこんなで、『あしたのジョー 2』を観た。『・・・1』は、何となく観ていた記憶はあるが、『・・・2』を観た記憶はない。最後に、真っ白に燃え尽きたジョーがリングのコーナーのイスに腰を下ろし、項垂れているシーンは、知っている。まあ、このシーンは、有名で、『あしたのジョー』を観たことない世代でも、知っている人は多いと思うが。で、『あしたのジョー 2』。カッコいい。ありゃ、誰もが夢中になって観たのがわかる気がする。何がカッコいいって、何もかも。突っ込もうと思えば、突っ込めるシーンも多々あるのだが、そのシーンがまたカッコいい。ジョーの仕草、態度、言葉。そして、会話、ストーリー。力石徹(ジョーの、最大のライバルね。)の葬式が実際に行われたってのも、今となっては、うなずける。あの、葬式の仕掛け人は、寺山修司さんなんだよね?原作者は、梶原一騎だけど、事実は、寺山さんだったんじゃないかって話もあるよね。これは、飽くまで噂ね。改めて、マンガを購入して、『・・・1』から、『・・・2』まで全部読みたくなった。参ったなあ。これで、欲しくなったマンガは、『1、2の三四郎』と『あしたのジョー』の1、2と『夢の中へ』が収録されている『トワイライト』の4種になてしまった。そうか。アマゾンに手を出すか。大丈夫なのはわかっているが、何となくネットでの購入には、ホンのちょっと抵抗がある。が、やはりここは、時代に乗っかろう。この不況の中、アマゾンは、凄まじい程の伸び率を提示しているらしい。で、先日、ちょっと話す機会があって、想さんにも相談してしまった。アマゾンのやり方。そんな事を想さんに相談する俺も俺だ。が、想さんは、事細かに、親切に教えてくれた。想さん、ありがとうございます。さて、ここを更新したら、早速アマゾンのサイトを開いてみるかな。思い出した。『キャプテン』と『プレイボール』も読みたくなった。そんなこと考えていたら、『ムサシ』も。あれも読みたいな。タイトルを忘れてしまったのだが、確か昔、少年ジャンプで連載していた、IQ150だか、300だかある少年が、色んな発明をするマンガ。『鬼やん』なんてのもあったな。『ライパチくん』(タイトルあってるかな?)。それから・・・ああ、懐かしいマンガが次々と。昔のマンガ(本は勿論、アニメも、実写も)は、面白かった。なんて、よく言われるが、ホントにそう思う。勿論、今も面白いものは一杯あるけどね。それにしても、『あしたのジョー』、面白い。早く続きが観たい。
さて、本日は、懐かしさも含め、“久々”をテーマに書いてみました。
チョイと話は、変わるが、大島渚監督ってな、凄いな。と、最近、改めて思った。これについては、また今度。
本日は、これまで。
【2009.02.24 Tuesday 09:14】 author : 久川徳明 | 雑記 | comments(0) | trackbacks(0) | -
脳と心を切り替えねば。(朝、公開したモノに、微妙に加筆、修正)
 昨日、ミュージカルが千秋楽を迎えた。いやぁ、やっとこさ終わりました。昨日も書いた気がするが、人には向き不向きってのがあると、つくづく実感。遠藤さん(舞台監督さんね)、沢山の数え切れないほどのフォローありがとうございました。今回のミュージカルは、『知らないことがまだまだ沢山あることを、知った』ってのが、一番大きかったな。ああ、あと、『向き不向き』ね。不慣れな仕事で、只でさえ大変なのに、途中、演助の一人は逃げ出してしまったし。結局この人は、約4カ月の稽古期間で、一か月来たか来ないかだったなあ。実質日数では、2週間いたかどうかってところか。その割を食ったのは、俺よりもさがらさんの方が大きかっただろう。最初の一月は、俺一人。12月は、俺の本番中、さがらさんにフォローを入れてもらい、1月は、二人で。2月の本番直前の、一番バタバタするであろう時期に、俺がまたまた本番があったので、さがらさん中心で演助の作業が進んだ。ここでの誤算は、三人いるはずの演助が、実質二人になってしまったこと。助かったのは、さがらさんが、こういう仕事が、実は結構むいているのでは・・・という、これまた誤算。さがらさん、苦労かけて申し訳なかったです。ホントに助かりました。(いや、助かったのは、事業団と演出か。)そんでもって、お疲れ様でした。それと、久田さん。今回、あなたは、とても良い、大きな経験をした。出演してよかったと、心から思うよ。お疲れ様。
さて、俺のこと。正直、ここ数カ月の、いや、一年の、いや、ここ数年の、やらなきゃならないことに追われ過ぎてて、身体や頭より、心が疲弊していた。とくに、去年の初夏〜夏にかけての、これまた不慣れな仕事辺りから、今月の、怒涛の本番数で、心がドンドン荒んでいくのを実感していた。いかんなあ・・・と、思いつつも、限界に達しそうな気配がチラホラ。今回の初日が明けたあたりから、脳がシャットアウトしようとしているのがわかった。この表現伝わるかなあ?眠たいとかそんなんじゃなくて、思考そのものが、ストップしそうになる。だから、無理して意識を持つ努力をしないと、思考が止まってしまいそうになり、意識的に努力しないと、何も記憶されない。そんな状態になりかけていた。そんな中、やはり、やらなければならないことはあるから、無理やり行動。今回の、それは、かなりキツかったな。よく、「ウソでしょ。」とか「冗談言わないでください。」なんて言われることが多いが、俺は、かなりの人見知りで、他者(ヒト)と話をするのが、実は、かなり苦手なのだ。いや、『だった』の表現があってるかな?この『だった』は、『今は、それを克服した。』の意ではなく、『今は、自身を誤魔化す術を、(多少)身につけた』である。だから、絶えず俺は、他者(ヒト)と接する際、どこかで無理をしているのかも知れない。だからと言って、ヒトと接している時、絶えず苦痛を実感しているわけではない。正直、そんな時もあるが、それすらも“誤魔化す”ことが出来るようになっているようだ。ただ、突然、それがやってくる時がある。そうすると、ヒトと会えなくなる。まあ、現実問題、会わない訳にはいかないので、会うのだけどね。でも、道で偶然知り合いを見かけたとき、声をかけられないことが多い。声をかけることができた時は、その瞬間、意識的に努力をした時なのだ。そう言えば、非常勤講師を始めた時期に、おばちゃんたちの劇団の指導も始めたのだが、その頃、毎日、吐き気と闘っていたなあ。今は、学校も、おばちゃんたちも、随分慣れたので、そんなことはないのだが。・・・多分。それにしても、ここ2、3日の、それは、久々にかなりキツかったなあ。一体、俺は、何と闘っていたのだろう?やっぱり、相手は、自分自身なんだろうな。いかんなあ。こんなことでは、ホントにいかん。頑張らねば。もっと、必死に頑張らねば。さあ。今日からは、また、気持ちと頭を切り替えて、また、必死こいて前に進もう。
ミュージカルの出演者で、(俺好みの)魅力的な奴が何人かいた。(勿論、久田を含むね。)そのヒト達に連絡をとらなければ。(ここは、久田は含まず。だって、既に一緒にやってる仲間だし。)で、チョイと一緒にやってもらおう。いっそ、翔航群に来ないかなあ。くらいに思っている。あのヒトたちが、いたら戦力になるだろうなあ。そうそう。うりんこの原田さん。「一緒にやれるといいなあ。」と、映写室から芝居を見ながら、さがらさんと話をしていた。いずれ、お願いしてみよう。翔航群にとって、かなりの大きい、良い影響があるに違いない。
お気に入りのヒトには、もう少し、構想を具体的にしてから、連絡をしよう。そんなんじゃ遅過ぎるか?よし。頑張って、今日、明日中に、構想をまとめて、連絡しよう。それにしても、あのヒトは、舞台で映えていたなあ。うん。凄く魅力的だった。この、『あのヒト』が、もしも気になるヒトがいたら、直接訊いて。隠さず教えます。って言うか、既にここで書いた気がする。
てなことで、本日はこれまで。
【2009.02.23 Monday 07:58】 author : 久川徳明 | 演劇 | comments(0) | trackbacks(0) | -
商業演劇。
 本日も携帯からの更新。なので、少々短めになってしまう。冒頭から、何だか癪だ。いやいや、寝過ごした自分がいけないのだ。と、反省しつつ・・・。
事業団のミュージカルが千秋楽を迎える。皆さん、観て頂けたでしょうか?なかなか好評のようで、多少なりと舞台制作に携わった者としては、やはり嬉しいモノがある。今回は、演出助手を引き受けたのだが、周りに「何で演助やってんの?」と訊かれた。今回は、商業演劇で活躍した、東宝の大御所演出家さんが演出するってんで、「商業演劇の演出家ってのは、どうやって芝居を創って行くんだろう?」と思い、引き受けたのだ。で、率直な感想。『交通整理』。これが大半を占めているように感じた。本人にも聞いた。やはり、そうらしい。あとは、『サービス業』。これも、勿論本人の言葉。こちらが、何を創りたいか、観せたいかではなく、どうやったら客が理解出来るか?どうしたら客が最後まで楽に観られるか?飽くまでも客目線の思考で舞台を“造る”のだと。“創る”ではなく“造る”なのだ。この文字の使い分けは、俺の主観ね。成程。何か、予想していた通りの考え方、造り方だった。あとは、煽(おだ)て上手。兎に角、いい気にさせるのが巧い。やたらプライドの高い、俳優様を、使うには、それが一番よいらしい。自分は、職人なのだと言っていた。確かに、そう見えるし、説得力のある言葉だ。職人だからこそか、切るのも早い。切るってのは、見捨てるの切るね。使えない役者、スタッフは、それ以上何も求めない。まあ、ある意味当たり前なのかも知れないが、その辺りは、チョット共感しかねた。だが、しかし、『切る』勇気(?)を持つことも必要かとも思う。・・・切られる側にはならない様に努力しよう。
で、今回つくづく感じたこと。人には、向き不向きがある。当たり前なことだが、あらためて実感。さがらは、演助みたいな仕事、向いてるんじゃないかな。やり手の舞台監督さんにも言われてたみたいだし。
さて、携帯からの更新は、長くなると、表示出来なくてなるので、本日はこれまで。
【2009.02.22 Sunday 07:07】 author : 久川徳明 | 演劇 | comments(0) | trackbacks(0) | -
是非。
 昨日、ミュージカルの初日が開けた。この『開けた』って表現はあってる?兎に角、初日だったのだ。どうなることかと、チョイと心配していたが、そんな必要はなかった。なかなかの出来。結構面白く仕上がっていた。まあ、正直、早着替えやら、転換やらで暗転がやたら長く感じるところもあったが、芝居は面白かった。気になるところがあると言えば・・・まあ、細かいことをあげれば、多々あるが。役者では、あの人とあの人の芝居がやはり気になる。勿論悪い意味でね。敢えてと言うか、勿論ここでは名前はあげない。まだ本番中だしね。でも、観たヒトは、或いはこれから観るヒトは、わかるんじゃないかな?あの、芝居の不自然さ。説得力のなさに。聞くところによると、演出家もかなり前の段階で匙を投げてしまったとか。さがらも少々言った様だが、殆ど治らず。まあ、仕方ない。この芝居全体が成立してない訳ではないし、どれだけ言って、修正をかけても良くならないのだから。で、面白いと言うか、間が抜けてると言うか、そんな人に限って、スッゴク偉そうに、共演者にダメ出し、いや、演技指導をする。みんな、ダマされちゃダメだよ。あまりに堂々と指導するものだから、ついつい正しいことを言っている錯覚に陥るけど、結構的外れだったりしてるからね。全てとは言わないが、やっぱり間違ってることが混じっちゃってるから用心しなければ。
で、久田。かなりいい感じ。随分、良くなった。歌やダンスは勿論だが、芝居が良い。昨日、一ヵ所気になるところを伝えた。それで更に良くなるはず。芝居自体も、久田も、両方是非観に来て欲しい。因みに、昨日は満席。今日、明日も残席僅か。そうそう。あの二人以外に、一人だけ質の違う芝居をして、少々・・・いや、かなり浮いてる人もいた。あれは、あれでありなのかな?いや、やっぱりなしだな。演出かも、どうやら「違う。」と思っているようだし。でもまあ、あの人は、どっちでもいいや。
今朝も携帯からの更新なので、かなり短め。
ところで、『是非』ってのは、『是に非ず』って書くけど、何故だろ?『非ずして是』かな?調べてみよう。
てな事で、本日はこれまで。
【2009.02.21 Saturday 07:42】 author : 久川徳明 | 演劇 | comments(0) | trackbacks(0) | -
似非○○。
 (チョット経験を積んだかも知れない)役者って奴は、無責任に、他の役者に何かしらダメだしの様な事を(偉そうなことを)言いたがる。そういう輩は、自分のことを俳優とは言わない。「何をされてるんですか?」の問いに「役者です。」と言いたがる。因みに俺は、「演劇人やってます。」と答えてる。「役者です」だの「俳優です」だの言ってみたいが、それだけで食ってるわけではないので、なかなか言えない。別に食えてるからとか、食えてないとかの問題でもないのだが。俺の場合は、他に、本書いたり、演出したり、専門学校やワークショップの講師なんかもやってるしね。そういえば、以前、三國連太郎(こんな字だったけ?)さんが、「俳優とは?」の問いに「人に非ずして、人に優れているもの」と言っていたなぁ。で、話は戻るが、そういう奴は、いい加減にしろと思う。つい昨日も、そんな奴がいた。別に悪気があってのことではないだろうが、あとは、ゲネプロを残すのみ。皆で稽古をする機会などない。そんな時に、偉そうにダメ出しするなよ。しかも、「こうしたら良いのでは?」ではなく、「違うんじゃないの?」の類い。すぐに対応出来る役者ならそれもいいだろう。だが皆が皆、経験豊かな訳ではないのだ。そんな、アホな(自称)役者は、もっと考えて言葉を吐け。
と、思い出した。以前、ある劇団の結成10周年(だったかな?)公演の話。演出家が、他から呼ばれてたのだが、公演後、その人と呑む機会があって、その公演の話になった。その芝居、正直面白くなかったことを伝えた。と、その演出家は「本も面白くなかったし、初めて一緒にやる役者を上手く使えるはずがない。あれは、本と役者が悪かったんだ。」なんて言いやがった。最悪だ。なら、何故、演出を引き受けた。本人も芝居の出来に納得しておらず、しかも全て自身の責任ではないと言いやがったのだ。それまでは、長く頑張っている先輩演劇人として、「頑張ってるなぁ。凄いなぁ。」(偉そうでごめんなさい。)と、俺なりに認めていたのだが、その瞬間から「ああ、この人はダメだな。」と再認識。その人は未だ芝居を続けているが「台本はテキスト。役者は駒。」と考えているらしい。確か、そう言っていた。だからか?役者は、全て個性を消される。つまらない演出家だ。俺は、そんな似非(ベテラン)役者にも、(責任を負わぬ)つまらない演出家にもなりたくない。努力をしよう。もっと努力をしよう。もし、俺がアホなことをしてしまっていたら誰か教えておくれ。キツく言われるとへこんでしまうから、ソッと優しくしておくれ。
またまた、携帯からの更新で、文字数に限界があるようなので、本日は、これまで。
【2009.02.20 Friday 07:15】 author : 久川徳明 | 演劇 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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