“思いやり”ってのは、とても大事で、それを絶えず(無意識の中で)意識出来、それを持って色んなヒト(モノ)に接することの出来るヒトに(俺は)なりたい。
そんなことを、ここでも(しつこいくらいに)よく書いている。
詳しくは書けないが(書いちゃうといけない気がするのでね)、なんて思いやりにかけるのだろう・・・と思わされる現場を目の当たりにした。
不快だった。
かなり。
かなり、イヤだった。
悲しくなった。
スゴク。
やはり、ああはなりたくない。
そんな流れで、先日書こうとし、先に延ばしてた話です。
タイトルは、『あの(ヴァーチャル?)感覚は、全くわからない。』
先日、久々にテレビを観て感じたこと。
ホストの・・・いや、ホスト“に”ハマっている(理解不能な)ヒトの話。
カテゴリーを『世間』ってしたけど、これもこれで良いのかよくわからない。
そんな、わからないだらけの話。
一体あの(女の)ヒトたちは、何が楽しくて、あんな(気持ち悪い)ことをしているのだろう?
申し訳ないが・・・申し訳ないと思う必要もないのかも知れないが、あんな行動をとる感覚は、(俺には)全くわからない。
お金を捨てたいのであれば、どこかの(ホントに、ホントに、ホントに必要としている)団体にでも寄付すればいい。 それぐらいの、まさに、」まさに、まさに無駄遣い。
(としか、俺には見えない。ある意味、ごめんなさい。)
・・・バカだ。
客とホストの関係以外に何もないのは明らか・・・のようにしか見えない。
※これ以降は、携帯から書いて、PCで確認したら消えていた。なので、書きなおし。余談だけどね。
あんな風に、ポンっと何百万円もプレゼントしてしまう気持ちはわからないし、ああいったお金を受け取る感覚もわからない。
いや、受け取る側は、“商売”だからあり得るか。
あの、やたらお金をドブ(俺の感覚ね)に捨てる行動。
あれは、いつ何時でも、(無駄に捨てることの出来る、自由な)お金(と言う名の、ナニかしら)を手に入れることのできる輩の行動だろうとも思えるが・・・やはり、わからない。
「そんなことはないよ。ああいった行動は、極自然。当たり前のことなのさ。」
なんて言うヒトもいるかも知れない。
出来ることなら訊いてみたい。
あの動機を。
その考え方を。
ナニかを・・・精神的な救い(?)を求めているとしたら、多分・・・多分だけど・・・多分だけどね、違うと思う。
俺はね。
そういったヒトは、(本当の意味での)いい仲間、いい連れあい、いい身内・・・に恵まれていないのだ。
・・・不憫だ。
うん。不憫だ。
ごめんなさい・・・ホントにそう思ってしまう。
あそこに、愛はあるのであろうか?・・・どこかで聞いたフレーズだが。
でも、ホントに思う。
ヒトに思いやりを持って接したい。
・・・正直、難しいけど。
こんな風に思うのは、俺にそれがないからかも知れない。
多分、そうなのだろう。
求めるなら、ないよりましか。
“愛”と“思いやり”を持った・・・ヒトに向けることの出来る人間に・・・なりたい。
と、いつも、思う、努力をしている。
・・・困難だけど。
がんばろ。