※これは、またしても、(情けないかな、)大人になり切れていない(?)かも知れない、俺自身の葛藤の日記、です。ホント、しょうもないなあ・・・と思いつつ、文字に起こして、自身で整理してしまおうと言う、そんな日記。
スッゴク悩み、考え、反省、後悔、再考、いっぱいいっぱい、自身の思考の回路、言動を顧た結果、あらためて思ったコト。
プロとアマってのがあり、その違いの定義ってのは色々言われたりしてるけど、どれが正しいかなんて、未だに良くわからない。ただ一つ、それらの関係の中で、たった一つ明確に(俺自身が)理解したのは、プロとアマが混じり合うには、(ある意味、)かなりの覚悟ってのがいるのかも・・・ってことだ。
勿論全てに当て嵌まるとも言わないし、言いきれやしない。しかし、どこかしらで感覚ってのに差があるのに違いはない。
そこで、プロがどうで、アマがどうのっていう、優劣を言っているのではない。
ただ、ここ何年か(に限らないが、)の中で、明らかな、(俺の感覚の中の、悪い意味での、)“アマチュア”って言葉が当て嵌まるヒトに遭い過ぎた、気がする。ここで、“遭”って文字を使ったのは、俺にとって、その感覚の持ち主は、かなりの部分で、その字に当て嵌まり過ぎているから。(※ここで、あらためて言っておく。これは、俺の感覚の中の意識のコトで、普遍でも一般的でもない。かなり偏った感覚である可能性が限りなく高いです。)
ここで、あらためて言っておくが、プロが、お金を稼いで、アマチュアが趣味(って言葉を敢えて嵌めてみる。)ってことでもない。先にも使ったが、感覚の問題なのだ。
第一、(世間的に(?)、)アマと呼ばれているヒトが、(これまた世間的に)プロと呼ばれているヒトよりも(俺が考える、)プロ意識が格段に高いヒトとも、数え切れない(は、言いすぎか?)程逢っている。
兎に角、楽しけりゃいいと、かそう言った類でもなく、・・・どうもシックリハマる言葉が見当たらないのが歯痒くて仕方がない。が、兎に角、ナニかが違うのだ。
ここで、やはり疑問。
こだわるコトがプロ意識なのか?適当にやるのも、ある意味プロ意識ってヤツになるのか?
取りあえず、(ある部分の、)俺にあててみると、どうもここんトコロ、前者にあたる節がある。だからと言って、(そうではない)後者とぶつかってしまう訳ではない。ぶつかってしまうのは、拘る以前に、考えるコトを拒否しているヒトとだ。
いや、違う。考えることすら放棄しているヒトとは、ぶつかりようもない。
では、何が問題か?
簡単に言ってしまえば、歯痒いのだ。(ホントに大まかな言葉で、)思考の止まっているヒトと関わるのが、かなりの苦痛出仕方ないのだ。
そこで、先に戻る。
考えることが、(良い意味として捉えた、)プロたる意識になるのか、そうでないのが、そうなのか?正直良くわからない。どっちもどっちって気もするし。
その前に、プロだのアマだの、その言葉の、本来の意味するところはどうなのか?それすらも、よくわからない。これも、考えてるコトを放棄してるのか?いや、そうではない。考えた上で、更に悩んでいるのだから。
しかしながら、ハッキリ言い切れること。(俺から見て、)考えるコトを放棄しているヒトとも、(俺自身は、)上手く付き合えなければいけない。それこそ、やはり大人であることなのかもしれない。
・・・何だか、思いっきりまとまりのない話になってしまった、気がしなくもない。しかしながら、そんなことを思ってしまったのだから仕方がない。
・・・それしにても、こんなことを考えてしまうってのは、今、まさに、心が荒んでいる真っ最中なのかも知れない、なんて思ってしまう。・・・何とかせねば・・・と、反省しきりの、そんな日記だ。この、心の荒み加減、良くない。気持ちを切り替えて、色んなコトに立ち向かわねば。
やはり、あれか、頑張れってことか。