※今回も、何となく長いつぶやきの様なエッセイ(随筆)の様な、そんな日記です。
大したことではないのだけど、やはり気になる、そんなコト。
メールってモノの、認識の差。
メールってのは、ホントに便利で、封書や電話よりも気軽に楽に使用できる。何よりも、ここまで普及しているのだから、フルに活用すべきだとも思う。文字のレパートリーもムチャクチャあり、普及し始めた頃の味気ない(シンプルな)モノとも違い、それなりの個性がある・・・様にも思える。
そんな、便利なメール。気軽に使えてしまう分、重みがない様にも思える。勿論、仕事でのやり取りでは、充分役に立つし、それなりの重要性を持った、そんなやり取りも行われている様だ。しかし、そうではないトコロでの、軽さ。
例えば、チョイと離れたトコロで言うと、愛の告白なんてのがある。(今でも勿論あるのだろうが、)かつては、手紙(勿論手書きのそれ。)ってツール(道具)を使っていた。直接ってのもあるし、電話もあるが、ここでは、メールに対しての手紙を引き合いに出してみる。あの、何度も書きなおす手間。勿論、当の本人にとっては、そんなこと微塵も思わないであろう、その大変さ。直接言えないからこそ選ばれた、その方法。何と言えばいいのか、どんな言葉を使って気持ちを伝えるべきなのか、考えに考え、緊張のあまり字が歪み、何度も何度も書きなおし、朝を迎えて改めて見直すと、妙に照れくさくなり、再び書きなおす。ポストに投函する直前まで、不安と勇気の葛藤があり、投函後も、後悔し、投函口から手を突っ込んでみたり・・・・・・なんてのがある・・・ヒトもいたであろう。そんな、気持ちのこもりまくった手紙。なんとも思いことか、なんて思ってしまう。
勿論、メールでの告白も、それ位のコトはあるであろう。あるテレビ番組で、そんなアンケートをとっていた。『メールでの告白はありか?』勿論答えは割れた。どっちが多かったかは良く覚えてない。スンマセン。しかし、有りと答えたヒトタチがいっぱいいたコトは確か。
いいんだけどね。そりゃ、別にいいのだけど。こんな便利な時代だし、メールの文章を打っている最中も、手紙と同じくらい悩み、送信した後に、慌てて空中に発進されてしまった電波を(手で?)回収しようと空(くう)をかきまくる、そんなヒトもいるであろう。なので、それはそれでいいのだ。しかし、やはり気になるのが、その気楽さ。
こんな“愛の告白”なんてのは、そりゃ、どんな時代も、どんな方法をとっていても、大変なコトであるとは思う。なので、例に挙げておきながら何だが、それはそれでいいとも思う。とは言いながら、やはりどこかで、メールでの告白自体、俺には、何だか軽いものに感じてしまうのだけど。しかし、しかしだ、それはよしとしよう。
俺がホントに気になるのは、そうではない、簡単な業務的な内容のメール。勿論問題は、中身の軽さではない。タイミングの問題だ。
※・・・と、やっとこさの本題です。と、気づけば、すっかり長くなってしまうので、『時代・・・ってヤツ、か。』その2。に続けちゃいます。