独りよがりな日々。

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【2016.12.30 Friday 】 author : スポンサードリンク | - | - | - | -
『時代・・・ってヤツ、か。』その2。
※『時代・・・ってヤツ、か。』その1。の続きです。

“愛の告白”なんてのは、そりゃ、どんな時代も、どんな方法をとっていても、大変なコトであるとは思う。しかしながら、どこかで、メールでの告白自体、俺には、何だか軽いものに感じてしまう。しかし、しかしだ、それはよし、だ。だって、投函してしまったラブレターを、投函口から必死に取り出そうともがくのも、送信してしまった愛のメッセージを必死にかき戻そうと、手で空をかきまくるのも、共に愛すべきカッコ悪さであると思うから。そう考えると、メールってのも悪くはないと思う。兎に角便利だしね。

そんな、気楽で気軽な便利ツール。一体何が気になるんだ?どこがダメなんだ?

※・・・てなことで、やっとこさの本題です。

俺が気になることは、そんな内容ではない、簡単な業務的なメールである。勿論問題は、中身の軽さではない。タイミングの問題だ。

こんな内容のコトは、何度かここでも書いた。しかし、やはり気になるから、書いてしまう。明け方だろうと真夜中だろうと、一切構わず、自分の気分と都合のタイミングで、相手のコトを考えない、そんなタイミングで、決して急ぎではない内容のモノを送るヒトの気持ちがよくわからない。

勿論、相手にとっての、都合のよいタイミングなんてのは、予め連絡をとって、「この時間に送りますね。」なんて約束をしていない限り、わかりはしないのだが、最低限のマナーみたいなものはあるとは思う。例えば、朝(夜?)の3時、4時頃。俺自身のコトを言えば、生活の時間がマチマチなので、その時間に起きているコトもざらである。けど、一般常識で考えれば、その時間、世のヒトタチの殆どはスッカリ夢の中であろう可能性が大きい、と思う。にも拘らず、そんな時間に、業務的な決して急ぎではない内容のメールを送るヒト。初めの頃は、ついついかも・・・と考えもしたが、そういったヒトは、それを絶えず繰り返す。きっと、多分、恐らく・・・何も考えていないのであろう。

別にいいって言えばいいのだけど、やはり気になってしまう。気楽に出来てしまう分、そういった、相手の都合を考えない行動は、やはりマズイ気もするのだ。とは言え、そんなコトを考えてばかりいては、この便利なツールを使いこなせなくなってしまう。なので、程ほどの気づかいで構わないのだとは思う。まったく考えないのではなく、程ほどの、程ほどの気づかいをしていれば、相手にイヤな気分を味あわせることも少なくなると思う。

かなり以前、つい「今なら大丈夫だろう。」と考え、送ってしまった後に、相手が本番直前だったコトを思い出し、思いっきり反省、後で謝ったコトがあった。これも、考えが浅かったのだろうな・・・と、今では出来るだけそんなコトはない様に・・・と心掛けてはいるが、この便利(過ぎる?)気楽なアイテムを使っている限り、ついついってのは起こり得るであろう。しかし、しかしだ。やはり、俺は気をつけよう。と、つくづく思っている。ホント。程ほどの気づかいを伴って、この便利アイテムを使いこなそう。と、改めて決心。

・・・ホント、大したことではないのだけど、やはり気になる、そんなコト。でした。 
【2012.05.31 Thursday 07:47】 author : 久川徳明 | 雑記 | comments(0) | trackbacks(0) | -
『時代・・・ってヤツ、か。』その1。
※今回も、何となく長いつぶやきの様なエッセイ(随筆)の様な、そんな日記です。

大したことではないのだけど、やはり気になる、そんなコト。

メールってモノの、認識の差。

メールってのは、ホントに便利で、封書や電話よりも気軽に楽に使用できる。何よりも、ここまで普及しているのだから、フルに活用すべきだとも思う。文字のレパートリーもムチャクチャあり、普及し始めた頃の味気ない(シンプルな)モノとも違い、それなりの個性がある・・・様にも思える。

そんな、便利なメール。気軽に使えてしまう分、重みがない様にも思える。勿論、仕事でのやり取りでは、充分役に立つし、それなりの重要性を持った、そんなやり取りも行われている様だ。しかし、そうではないトコロでの、軽さ。

例えば、チョイと離れたトコロで言うと、愛の告白なんてのがある。(今でも勿論あるのだろうが、)かつては、手紙(勿論手書きのそれ。)ってツール(道具)を使っていた。直接ってのもあるし、電話もあるが、ここでは、メールに対しての手紙を引き合いに出してみる。あの、何度も書きなおす手間。勿論、当の本人にとっては、そんなこと微塵も思わないであろう、その大変さ。直接言えないからこそ選ばれた、その方法。何と言えばいいのか、どんな言葉を使って気持ちを伝えるべきなのか、考えに考え、緊張のあまり字が歪み、何度も何度も書きなおし、朝を迎えて改めて見直すと、妙に照れくさくなり、再び書きなおす。ポストに投函する直前まで、不安と勇気の葛藤があり、投函後も、後悔し、投函口から手を突っ込んでみたり・・・・・・なんてのがある・・・ヒトもいたであろう。そんな、気持ちのこもりまくった手紙。なんとも思いことか、なんて思ってしまう。

勿論、メールでの告白も、それ位のコトはあるであろう。あるテレビ番組で、そんなアンケートをとっていた。『メールでの告白はありか?』勿論答えは割れた。どっちが多かったかは良く覚えてない。スンマセン。しかし、有りと答えたヒトタチがいっぱいいたコトは確か。

いいんだけどね。そりゃ、別にいいのだけど。こんな便利な時代だし、メールの文章を打っている最中も、手紙と同じくらい悩み、送信した後に、慌てて空中に発進されてしまった電波を(手で?)回収しようと空(くう)をかきまくる、そんなヒトもいるであろう。なので、それはそれでいいのだ。しかし、やはり気になるのが、その気楽さ。

こんな“愛の告白”なんてのは、そりゃ、どんな時代も、どんな方法をとっていても、大変なコトであるとは思う。なので、例に挙げておきながら何だが、それはそれでいいとも思う。とは言いながら、やはりどこかで、メールでの告白自体、俺には、何だか軽いものに感じてしまうのだけど。しかし、しかしだ、それはよしとしよう。

俺がホントに気になるのは、そうではない、簡単な業務的な内容のメール。勿論問題は、中身の軽さではない。タイミングの問題だ。

※・・・と、やっとこさの本題です。と、気づけば、すっかり長くなってしまうので、『時代・・・ってヤツ、か。』その2。に続けちゃいます。
【2012.05.30 Wednesday 23:53】 author : 久川徳明 | 雑記 | comments(0) | trackbacks(0) | -
巡り巡って・・・結局は・・・な、そんなコト。
※本日は(も?)気分転換を兼ねてしまう、そんな日記です。+α・・・です。

やらなければならないコトが目の前に次から次へと列をなして姿を現す。やっとこさ一つを片付けると、そこには既に次がいる。長蛇の列を成して待っている。

そんなことを考えている間があれば、とっとと仕事をこなせばよいものを、何となく他に目をやってしまいたくなる。で、まあ、気分転換と称し、他に目をやる。やらなくても入ってくる。気がそがれる。

なんて言いながら、その、他に目をやるコトを、やはり極力避けていく。理由は簡単。余裕がないから。しかし、余裕がないからこそ、他からの、それらに気を逸らし、気分の転換を図るべき、なのだろう。

しかし、それをする勇気(?)がない。しかし・・・・・・。

さて、この堂々巡り、どうしたものか?と、思案を巡らせる。と、不意に気づく。こんなアホみたいな堂々巡りが、気分転換になっているのか?なんてコトを。

で、まあ、結局、余計なコトを余計であるとわかっていながら、そこに軽〜く時間と意識を費やして、再び軌道修正。行くべき道を辿りつつ、目的地に向かっている。

※以下、“+α”です。

と、こんな訳のわからないコトをツラツラと書きながら、今日も何となく、簡単に料理とまでは行かずとも、皿に色々小分けに盛りつつ、食事っぽいものを拵えて食す。

ここ最近の、こんなコトが、とても実利のある、現実的な、いい気分転換になっている。体調のコトを考えても、あれやこれやの惣菜を買ってきて、更にも盛らず食べるより、ずっといい感じ。何よりも気分がいい。

てなことで、こんな料理っぽいコトを暫くは続けて行こう。忙しい時こそ、やった方がいい気がする。ホント、簡単なものだとしても、それがいい。気分がいい。気分がいいから、それを癖の様なモノにしたいと考えている。面倒ではなく、それが当たり前になったら、もっと楽しめて、もっと気分が良くなって、抜群の気分転換になるだろうから。
【2012.05.29 Tuesday 23:59】 author : 久川徳明 | 雑記 | comments(0) | trackbacks(0) | -
段々と慣れてきた。
学校の話です。非常勤講師なんてのを初めてから、数年目(何年だっけ?)になるのだけど、今更ながらやっとこさ、少し慣れて気がする。数年目にしてやっとって話ではなく、今年度の話。

ン十人の新しい学生が入ってきて、顔と名前がなかなか一致せず四苦八苦するのは、毎年のコト。大体、例年だとまだ、スッゴク大変な状況が続いているのだが、今年は既に、この新しい環境に身体が馴染み始めている。って言うのは、顔と名前がかなり一致しているのだ。ヒトの名前を覚えるのがかなり苦手な俺からすると、自分で言うのも何だが、いや、凄いんじゃないか?なレベルである。

ここ数年、その時期が、少しづつ早まっている気がする。これも、やはり、この環境に慣れてきてるってことなのだろうか。だとしても、数年は、かかり過ぎな気もする。こんなのは、やっぱ普通は数ヶ月、かかっても2年目でクリアなんだろうな。と、少々反省。

そんな時間の流れを感じつつ、日記に光陰矢の如しなんて言葉を使った翌朝、(多分、ここを覗いてはいないであろうヒトから、)「光陰矢の如しですよね。」なんて言葉を掛けられた。

偶然か?それとも、今、この季節は、そんな感覚になる時期なのだろうか?

どっちでもいいと言えばいいのだが、・・・普通、皆、使うのか?・・・何となく、どちらかと言うと、文字で使用する頻度が高い気がしていたので、普段の会話の中で、こうもあっさり、当たり前のように“光陰矢の如し”なんて言葉を耳にしたのが、何だか新鮮な気がした。

兎に角、何て言うか、時の流れを感じる、ここ最近である。
【2012.05.28 Monday 23:59】 author : 久川徳明 | 雑記 | comments(0) | trackbacks(0) | -
光陰●●の如し。
光陰矢の如し。

事あるごとに、まさにその通りだなあ・・・なんて思い、実感してしまう。

それは、ナニかの節目とかに思うのではなく、いや、そんな時も勿論あるが、実際のトコロは、そういった時より、普段の方がより一層実感している気がする。

ナニかやらなければならないコトがある時なんか、そりゃもう顕著で、特に仕事、か。これは、毎回、いっつも思う。「ああ、なんでこんなに時間の過ぎるのは早いのだろう・・・。」って。

些細なところでは、朝の本のチョッと時間もそうだ。ホンの1、2分だけ、ホンのもうチョッとだけ寝たら、起きて準備をしよう。とか思っていると、見る見る時間は過ぎ、気づけば遅刻ギリギリだったりする。

これらは、色んな意味での能力の足りなさも原因だとは思うが、基本は、怠け心だよな、なんて思う。こういった、間抜けな怠け心が、色んな大変な状況を招いているのだ。わかっているなら、何とかしろよ。なんてことも思うのだが、それが出来るなら苦労はしない。とか言ってるからダメなのだよな。

てなことで(?)、チョッとづつでも、光陰矢の如しの言葉を返上し、光陰牛歩の如しと思える位に、もうチョッと頑張らなきゃイカンな。

目指せ、光陰牛歩の如し、だ。
【2012.05.27 Sunday 23:59】 author : 久川徳明 | 雑記 | comments(0) | trackbacks(0) | -
何となく思うコト・・・。
※ホントに、何となく思ってしまったコト・・・です。なんの批判も批評もする気はなく、単なる個人的な感想です。悪しからず。

CMの本数が多くないか?なんてことをふと思ったりする。

(勝手に言い様に解釈、予想すると、)30分いおバラエティで、(重複とかなく)実際に流れているのは、12、13分程度なんじゃないか・・・なんて思ってしまう。30分モノであれば、実際は、オープニングやらエンディングやら、そしてCMやらで、実際の放送が、30分と言いながらも、それより短めなのは知っていたつもり。それは、バラエティに限らずドラマもそうだって、わかっていたつもり。

が、しかしである。最近の(?)それは、それ以上に、ムチャクチャ中身が(時間に限らず、)少ない気がしてならない。勿論全てではないけれど、シーンを重複して流すパターンが増えている気がする。CM明けても視聴者を捕まえておくとか、よりわかりやすくするとか、色んな目的がある気もするが、最近のそれは、ただ単に制作費やら手間やらを省く為に(、或る意味、視聴者をバカにしている・・・かのようにも思える、)何回も重複して流す制作者が増えているのではないかと思ってしまう。

つい先日。或るバラエティの再放送を、何気wなく観ていた。そして、CM。

3分?5分?・・・???分?

どれだけ待っても再開しない。CM直前に、とても気になってしまう(かも知れない)答えを伏せて、「CM明けに・・・。」なんて言葉をのs越したまま、数分のCMが続く。2本3本ではない。十数本のCM。何じゃこりゃ?だ。

かなり昔、某SF小説の短編で、CMの間、(知らぬ内に)視聴者は眠ってしまい、CMを関知しないまま、放映される中身を堪能出来る装置を発明した・・・ってのを読んだ。その時は、何となく「へー・・・。」な程度だったが、こう、CMばかり増えていくと、改めて実感してしまう。あの、小説は画期的で斬新だったのだなあ・・・と。

確か、その小説は寝てる間にお茶を溢したり・・・諸々の事件が起きて、その機械の販売が停められたと記憶しているが、実際は記憶が曖昧なのでわからない。飽くまでも、かすかな記憶です。

で、そんな事情で販売中止になった機械の小説。今現在、そんなのがあったら購入したいとも思う。その、寝てる間の問題が解決できていればの話だが。

と、何だかんだ言いながら、やっぱり思う。・・・CM、多すぎないか?
【2012.05.26 Saturday 23:45】 author : 久川徳明 | 雑記 | comments(0) | trackbacks(0) | -
いいのか?ホントにいいのか?・・・
何だかんだと、またしても、自身の首を絞めるかのように、予定を増やしている自分がいる。

イヤなのではない。当たり前だ。それが、(色んな意味で)自身の為になると思うから。

しかし、しかしだ。やはり、またしても、自身を追い詰めていく、そんな状態になって行くのが目に見えている。それがわかっていながら、色々と断れない。それどころか、自らそこに首を突っ込み、アップアップでてんてこ舞いになっている。・・・困ったもんだ。

が、これまた、しかしながら、それもまた良いかとも思う。自身で望んでそこにいるのだし、何よりも、それが自身の為なのだと思うから。

てなことで、まだまだ暫くは、いっぱいっぱいな日々が続きます。しかし、例え、ホンのつぶやき程度の日記になろうと、一日一更新以上の、自身に課した日課は続けよう。と思う。これもまた、訓練、修行である。なので、なので、なので、やはり出来得る限りは、“つぶやき程度”ではなく、シッカリしたモノを書かなきゃ・・・と、更に自身に課して行く。出来るだけ、出来得るだけ・・・だけどね。
【2012.05.25 Friday 23:59】 author : 久川徳明 | 仕事のこと | comments(0) | trackbacks(0) | -
CD屋さん(DVD含む)。

本を書くのに、(俺の場合は、)曲が要る。勿論(?時と場合に因るけれど。)

今回、なかなか、“これ”っていう曲に出逢えていない。参った。なので、探しまくる。あっちこっち行ったり来たり。

あっちのCD屋さんで1、2時間。こっちのCD屋さんで1、2時間。そっちのCD屋さんでは2、3時間。出逢いを求め彷徨っている。更に言うなら、参考になりそうなDVDなんかも一緒に捜しまくり。

そんなこんなで、やっとこさ、いい感じの出逢いがチラホラ。と、そんな中、ここ最近の傾向か、そんな(?)世間(業界)の流れなのか、散々捜していて全く出逢えなかったCDに立て続けに出逢えてしまった。

ネットなんかで調べて購入すりゃいいのかも知れないが、PCを使っているくせに、そういった方法には、未だ二の足を踏んでしまっている。更に言うなら、そのヒトタチのCDは、他にないモノと思い込んでいた。だって、調べても、既に解散していて、見つからなかったから。

ところが、ここ数日、復刻版だの、デビュー●●周年記念のベスト盤だのが、ありやがった。いやはや、嬉しいやら何やらで、(懐と相談しつつも)多少値が張ろうと、頑張って購入。

何となく思う。このまま、欲しいCDは、ムリして手に入れなくとも、近いうちに復刻版やら何やらで手に入るのかも・・・なんて。まあ、何にしても、ずっと欲しかった、そのシリーズ(?)が手に入ったのは、かなり嬉しい。

と、この辺で考えてしまう。・・・必要とは言え、こんなにCDやらDVDやらをワッサワッサと購入して、ホントに俺は大丈夫なのか?・・・悩んでいても仕方がない。だって必要なんだもの。でも・・・・・・だ。

もうチョッとだけ節約しなきゃマズイかな。でも・・・でもなあ・・・・・・。

【2012.05.24 Thursday 23:46】 author : 久川徳明 | 雑記 | comments(0) | trackbacks(0) | -
料理と調理。
※以前にも似たようなことに触れた気もするが、今回改めて考えてみたので、書いてしまいます。更に言うなら、“またしても”日記と言うより、エッセイ(随筆)っぽい、そんな日記です。

料理と調理。違いを調べると、色々あってホントのトコロは良くわからない。多種ある説の中から、簡単に一つ二つ。

『料理を作る過程が調理。』・・・ああ、ナルホドネ。・・・でも、では、“料理する”は、どっち?間違った使い方ってこと?単に言葉が混ざって出来た言葉?

『素人がやると料理。プロだと調理。』・・・だから、料理教室と調理師学校って名前が使い分けられているのか。とも思うが、この、素人とプロの括りがチョッと気にいらない。

(自他共に)プロと称されているヒトタチは、自身を料理人と称するヒトと調理人とするヒトがいるようだ。「自分は料理人でありたい。」とか、「自分は調理師ですから。」とか。

この二つの言葉、ハッキリとした明確なモノではないが、一つの答えである気もする。料理人と調理師の違いが、広い意味で、料理と調理の違いを言い当てている気が。

てなことで(?)、色々踏まえて考えると、俺の場合は、どうやら“料理を創る”に近い気がする。決して、調理するって感じではないし。

しかし、これまた逆に考えると、調理はするが、料理は作れない(出来ない)、とも考えられる。

てことはどっちなんだ?・・・はて?困った。こんなコトで悩むのもアホらしいが、ついつい悩んでしまった。

で、ムリクリ導き出した答え。

(拙い)調理をして、料理を(作るではなく)創る、だ。てなことで、“略して”、『料理を創る』を選択しよう。
【2012.05.23 Wednesday 10:40】 author : 久川徳明 | 料理 | comments(0) | trackbacks(0) | -
小分けにしてみた。
(勿論)料理の話です。

たまに気が向いた時なんかにやることもあるが、大概が、(所謂)大皿状態。色々とワッサワッサと大きな皿に盛るだけ。

わかりやすい例を出すと・・・タクワンを一本購入。一口大に切り、皿なりタッパーなりに入れる。で、食事時、そのいっぱい盛られた(入れられた)タクワンをそのまま食卓に。一人の食事に関わらず、数人前のタクワンが目の前にあるって状態。

料理する際の材料の使い方もそんな感じ。ネギを購入。本来なら半分を使えば済むのだが、何となく面倒くさくて、一本全部使ってしまう。

そんなこんなな適当な感じを(今更ながら)改めてやめて見た。

ここんところ、たまに(気分転換を兼ねて)軽く料理。その際、材料を“小分け”して使う様にしている。何ともはや、無駄のないことか・・・。

盛り付けも、何となく“小分け” にしてみる。大したものでもないのに、それっぽい食卓に見える。

軽く晩酌なんて時も、コンビニで買ってきた惣菜をラップを外して、そのままテーブルに置くより、別の更に盛り直した方が、気分も良く、晩酌を楽しんでる・・・ってな気分(錯覚?)になる。

たまに、ホントにたまに、数ヶ月に一度程度、そんなことをしていたが、今後は、食事の管理も含め、そんなことを継続してみようかな、なんてことを思った。
【2012.05.22 Tuesday 23:49】 author : 久川徳明 | 料理 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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