ばれると思わずにつく、ウソ。ばれるとわかっているのにつく、ウソ。心、衝動ををコントロール出来ずについてしまう、ウソ。ばれることを願ってつく、ウソ。他にも数限りなく、色んなウソがある。
どこかのテレビで言っていた。人がウソをつくのは、3歳位からだって。※曖昧な記憶なので、間違ってたらゴメンナサイ。
さて、俺自身は、どんなウソをつくのだろう?スッゴク正直な話、昔(子供の頃)と今(ある時期から)と比べると、今はほぼ、ウソをついた記憶がない。これすらも、もしかしたらウソかも知れないが、もしそうだとしたら、無意識にの中のウソだろう。
ウソをつくことに後ろめたさを感じ、ついついばれるウソをつく、なんてことがある。しかし、なら、何故、ウソをつくのか?ばれたいなら、つかなきゃいいじゃん。
多分、そこには、後ろめたさと同時に、逃げの意識が働いたり、ウソをつくような状況にありながら、「ホントは、こんな人じゃない。ホントは、いい人なんだ。」なんて思われたい気持ちが働いているのかも知れない。そんな風に考えると、(こういった場合の)ばれるウソをつくのは、平気で騙す人より、始末がわりぃのかも知れない。
いや、そうか?ホントにそうか?平気な顔して嘘をつく人と、ウソをつく自分が嫌い、或いは、ウソはつくけど、(他者から)嫌われたくない。と思っている人と、どっちが、ダメなんだ?
なんて悩む必要はないか。どんなに考えても、ウソはウソ。ばれようが、ばれまいが、人を騙していることに違いはないのだから。
しかし、果たして、ホントは?・・・人の気持ちを簡単に分析することなんか出来やしない。もしかしたら、もしかしたらだけど、そこには、他者(ヒト)には知り得ない、本人にとっての、大きな大きな理由があるかも知れないのだから。
しかし、やはり、あれだ。人を傷つけるウソは、やっぱダメ・・・って言うか、イヤ(な気分)だ。スッゴクいやな気分になる。その辺りを基準に、俺自身は考えることにしようか。今のところは。
なんてことを、本を書く為に色々考えを巡らせていたら、ついつい考えてしまった。そんな日。
※・・・だから、何があったって訳じゃないです。ただ、考えただけ。