かなり前から、曲の力ってのは凄いな・・・なんてことを実感していた。
※と、ここで敢えて言っておく。この日記の内容は、決して、それを否定しているのではなく、それどころか凄さを実感している。そんな気持ちです。
例えば、絵(映像でも舞台でも、現実の状況でも)目の前に起きている“ソレ(映像でも話でも舞台でも・・・色々)”に(情報を得ている)“視覚”以外の、(曲と言う)“聴覚”から得る感覚は、視覚からの情報に効果を与え、感覚を広げ、感情を高ぶらせる。・・・と思っていた。だから、曲(音)の力ってのは凄いよな、と。思・・・い込んでいた。
しかし、しかしながら、時に音(曲)が邪魔になる・・・時もあるのだよな・・・と、(以前から感じ、実感していたのかも知れないが、改めて)実感してしまった。
本当に感動に繋がる・・・感動してしまう“ソレ”が目の当たりにあったら、効果で使う曲は、かえって邪魔に感じてしまう時もあるんだ。と、改めて実感してしまった。
あ何か・・・何だったのかとは、ここでは、(スンマセン、)敢えて避けてみるが、他で機会があれば、勿論言ってしまう。ただ、こういった不特定多数の人が何のセキュリティ(?)もないところで書くと、そんなつもりもなくとも、「はっ?」なんて思わせてしまうから。
ここで、敢えて言っておく。
音、曲の力は、やはり信じているし、必ずと言ってよいほど素晴らしい効果がある。と言い切れる。
しかし、しかしだ、それ以外もあるという事を感じてしまった。ただ、それだけ。
要は、演出として、そのシーンは、無音と言う“音響効果”を使うってことだけなのだけどね。
「じゃあ、態々書くこともないじゃん。」ってな話だが、某映像で、内容がムチャクチャ心に届き、突き刺さるモノだったのに、その裏に、(多分、有名で売れている)某アーティストの歌声を流していた。で、そんな映像を見た時に。「曲が邪魔。」って感じてしまったから、書いてみた。
・・・多分、勝手に想像するに、それは、演出(ディレクター?)の所為(方向性?力量?)なんだろうけど、しかし、音(曲)の力を実感していた俺は、それを切っ掛けに、改めて、音(曲)の“重きところ、立ち場”を、それに対する感謝、凄さを実感してしまった。・・・って話。
批判どころか、凄い影響力がある。使いどころを間違うと、とんでもない事になってしまう。
そんな考えを改めて再認識した、そんな本日の日記です。
そんな話。